Category: General
たまには本でも紹介してみよう・・・・

以前「茂木健一郎」について書いたが、
彼がキャスターを務めるNHKの番組[プロフェッショナル 仕事の流儀]は
すかさず見ている。その中で昔、とある青森のリンゴ農園の特集回があった。
その内容はすさまじいもので衝撃を受けたが、現在出版化されている。

内容に少し触れてみると・・・
青森のリンゴ農家の無農薬栽培との壮絶な奮闘記である。

文字にすれば至って簡素ではあるけど、
こんな本にはなかなか巡り合わない。
色々本は読むけど間違いなくTOP10に入る、
「奇跡のリンゴ」と言うタイトルのヒューマンドキュメンタリー。

東北、青森のりんご農園経営者 木村秋則さん。
ひょんな事から農薬栽培に疑問を感じ、自然栽培に切り替える。
通例のリンゴ栽培を農薬を使わずに栽培する事は自殺行為であり
周囲も勿論そう言う目で見ていた。
自家農園だけでは無く農薬を使わない栽培方法は
害虫の発生を引き起こす為、次第に近隣農家からもバッシングを受けるよう
になる。そもそも果物の栽培は非常にナイーブであり、農薬を使い純粋に
収穫するにもかなりの手間暇がかかる。
自然栽培を始め、農薬栽培を行っていた次の年から
木村さんの農園のりんごは実をつけなくなる。
雑草は尋常じゃないくらい生えてくる。害虫は大発生する。
リンゴの木は自然と病気に見舞われた。

実を付けなかった期間、7年。
全ての栽培法を試し、極限の生活を経て、全てを出しつくした
時に行きついた、「死」と言う答。
山へ足を踏み入れ全てに終止符を打とうとした
農主は、考えを改め直すある一つの事を自然から気付かされる。

そこから、実をつけるまでの
劇的な展開・・・ それは実際に是非読んでみて欲しい。

この本を通して
沢山の事に気付かされる。
プロフェッショナルな偉業を成し遂げる、先人の教えは
全ての発する言葉に意味を感じ、その重さは素直に心に入ってくる。
実直で直球の文字。温かい言霊が沢山綴られていた。

自然に身を置いている方たちに感じる同じ気持ちがある。
人間の持つ逞しさ。

誘惑の多い現代人は日々身近にある娯楽を消費している。
それは今に生きるメリットでもあるが、デメリットでもある。
雑念の巣窟であり、欲との戦い。
選択肢のない環境に身を置く人たちもいる。
選択肢を自ら断つ環境に身を置く人たちもいる。
選択肢はあるがあえて排除する志を持つ人たちもいる。
沢山の環境はあるが、
一つの事に特化した者たちが持つスピリットは
多くの人たちを魅了する。
その培われた精神は肉体とメンタルの強さに繋がり、
動物的強靭さを持つ。
生きる事に貪欲に、食べる事に貪欲に
人である事に貪欲に生きている陽な力を持っている。
そう言う多くの方達を見てきた。その言葉を聞いてきた。


害虫の生活行動を追う為に、その虫を1日追い続ける事は
容易なようで出来ない行動だろう。
そこには強靭なスピリットがある。

ハイテクであろうとローテクであろうと
突き詰めれば、尋常では無いと思える言葉や行動を
持つのかもしれない。世界一を誇る日本の半導体も
凶器の沙汰だと思う。

長々と書いたけど、
誰にでも読める、非常に温かさのある
土臭いリアルな言葉が綴ってある。

この栽培法で摘まれたリンゴは
収穫から2年間おいていても腐らないと言う。
包丁で切ると、切ったリンゴが包丁にくっ付いて
ジャガイモのように落ちないと言う。
そのリンゴを買い求めようとしても、常に在庫切れの状態だ。
世に認められたわけだ!


たまにあるんだな・・・
こう言う本が。
諸々のHow To本の2億8千万倍、ためになるので
お近くの書店にダッシュカッペでどうぞ。

※最後に、エピローグに登場する木村さんの言葉を下記に転用します。

**********************

自然の手伝いをして、その恵みを分けてもらう。それが本当の農業の姿なんだよ。そうあるべき農業の姿だな。今の農業は残念ながらその姿から外れているよ。ということはさ、いつまでもこのやり方を続けていくことは出来ないということだよ。昔は私も大規模農法に憧れたけど、その大規模農法地帯はどんどん砂漠化しているわけだからな。アメリカの穀倉地帯も、昔のソ連の集団農場も、今どうなっているか見たらすぐにわかる。どんなに科学が進んでも、人間が自然から離れて生きていくことは出来ないんだよ。だって人間そのものが自然の産物なんだからな。自分は自然の手伝いなんだって、人間が心から思えるかどうか。人間の未来はそこにかかっていると私は思う。決して大袈裟でもなんでもなくな。私に出来るのは、リンゴの木の手伝いをすることだけだ。たいしたことが出来るわけじゃない。だけど、それは人間の将来にとって、きっとためになることだって。これは少々大袈裟だけどもな、でも心の底からそう思うようになったんだ。
***********************     
Category: General
辞書で引くと、有機体。
人間とは有機物質なのだろうか?
ヒューマニズム、ナチュラリズム、エコリズム・・・
時代は癒しを求めている。
アンチエージング、デトックス、ロハス、
無くなりかけていく言葉達。

人は時代に対し、その時の背景により
言葉を作り、表現する。
流れは速く、日々量産される新生の語らい。

化学肥料、汚染物質、薬物、
数々の非動物的物質環境下で育った。また
精神は大きく自然界から逸れている者も多い。
無理と無駄の多い情報量を処理できないまま
日々はすぎている。自己の意見を持たぬまま
新たな問題へと時代は移行していく。
雑念は肥大し、無益な時間を生み出す余地を
与え続けている。脳は与えられる容器を雑念
で満たされ、本来生きる事に必要な知恵と感性
をこぼし、落としていく。

飽和状態。
感覚が散乱している。
動物が天災を予知し移動や、奇怪な行動を
起こすのは生きる事に対して研ぎ澄まされている
からだと思う。きっと人間でもそう言う人はいるのだろう。
その環境下に生きる人たちも沢山いる。
選んだとしても、選ばずとしても。

オーガニック。
それは、あり方なのかもしれない。
有機たる事柄は、物質的な解釈だけでは説明できない
それは、食材でも植物でも動物でも。
毎日言葉をかけた植物は強く根を張り、良く育つ。
それは、相互の会話が成立している証であるし、
発信するもののあり方だ。

どんなに、物質的な物を吸収しようとも
逆にどんなに物質を排除しても、
オーガニックなリアリティーは存在し、
あるものには感じ、そして無きものには感じない。

オーガニックグルーヴ
雑念を払い、音一点に絞り込み、情熱を注ぐ
音楽には、リアリティーは存在し人を魅了する。
決して言葉では表現できない音の渦。
自分の音なんてどうでもいいんだ。
全体の音楽がそのリズムを繰り出していれば。
目で見る景色は消え去り、創造の景色が入れ替わる。
あくまで、発信するもののあり方として
互いの会話は成立するのだと、ストリートミュージック
に強く感じるのでR。

音楽と生き方は凄く似ている。
沢山の事を教えてくれる。
向き合うものが何でも突き詰めれば一緒かも知れない。
突き詰めればつめるほど、
常に新しい教えは開かれる。
全ては向き合い方であり、純な気持ちの注ぎ方だ。

道は幾重にも別れているけれども
選ぶのは全て自分自身。
その先に大きな海原がある事を願い
今を精いっぱい歩こうではないか。

今日はこのへんで…

05/30: ROOTs

Category: General
たまには、音楽の事について書いてみよう。

DJ SMASHをご存知でしょうか?
JAZZ HIPHOPの先駆的アーティストで
数々の伝説があるが、ジャイアントステップのレジデント
DJとなり、数々の生のアーティストとコラボレーションを
行い、その触手は中期の頃からとどまる事を知らない。

近年、sing02やNujabes、nomak、jazztronikなど
日本でも数々のjazz要素を取り入れた良いアーティスト
が沢山出ているが、スマッシュは間違いなく、パイオニア的
存在であり、イチイチ今さら言うことではないが、
ダンス的レアな要素とのバランスともピカイチ!


音ネタもプロダクション別など多くの皿が
現在もDJ達の恰好の掘り出し物となっている。

そもそもマンハッタンに生まれブルックリン、ブロックパーティーなどで
最先端の実践を積んだ経歴を持ち、
そこから生まれる生のビートは活きた音であり、
その感覚と感性は今のJAZZHIPHOPの根底にありつずけていると思う。
ハウスの神ラリーレバンやダブの開拓者キングなどとは
また違う意味での先駆者だと思う。
何でもそうだが、こう言ったアーティストの音は
いつ聞いても古さを感じさせない
最新たる音。心を躍らせてくれます。

現在の音楽は再分化されたジャンルにより
消費者の心理を元にレコード店などは工夫に工夫を重ね
情報を与え続けている。
自分たちの中学生の頃は、
メタル、ハードロック、ロック、テクノ(テクノカット全盛期)
位しか選ぶものがなかった。それ以外を求めるなら、
雑誌を読みあさったり、アメリカ村などのレコード屋まで遠征に出かけて
リコメンドやPOPを読んだりしなければ情報は無かった。
PCなんてマイコンの時代だし、ワードは一太郎の世界だった。
英語の辞書なんてジーニアス!しか無かった!

我々が今やっている世界の音楽なんて
NHKの大河紀行くらいでしか聞けなかったはず!

だから、情報を取ったり、調べに行く。
と言う文化が形成されていた。
今は、便利になったと思う。素晴らしい事だな・・・

だから、もっともっと、音楽は広がるべき
カルチャーなのに、レコード屋は減っていく。
キングコングの本店戻って来い!
ブックオフでは限界があります!!!!

皆さんこの世の中には、自分が知らない
自分の好きであろう音楽が星のように存在します。
「あれ、これスキかも~!」
と言う感覚があるならそれは氷山の一角でしかありません。
掘って掘って掘り下げていけば、脳の奥の奥にある
潜在的な自身の宝物に出会うはずです。

素敵な音楽生活を・・・

05/14: バランス

Category: General
この言葉。
軽いようで非常に深みのある絶妙な日本語英語だと思う。
英語圏で使われる「balance」は日本人の使うそれとは
全く違う意味だと思う。

=調和や均衡

そもそも、調和と言うニュアンスが日本人は独特だ。
人あっての自分。侘びと寂。
この感覚はなかなか他の国では生まれない。

俯瞰的に見ると今の世界のバランスはもう
ぎりぎりのところまで来ていると感じる。
こんな状態はいつまでも続かない。
それは歴史も証明しているし、あまりにも自然界に反比例している。
何が本当なのか分かりにくい世の中。
偏った考え方。情報の多さ。人口の止めどない増加。
自然界の破壊。疫病の発生。兵器問題。温暖化(これもどこまでが真実か
解明されていないのにエコリズムを謳う自称ナチュの人たち)
いじめ。雇用不安。殺人。自殺。戦争・・・・
言いだせばきりがない。

一つの国をこれだけの生命体が独占し
数々の生命を追いやり、そしてその母体をも崩壊させていく。
その一端を全人類がになっている。
このパソコンを作る為に、何を犠牲にしているか俺には分からない。
但し化学物質である以上、破壊的製作を行っている。

生態系バランスとは強者と弱者の数字に比例する。
ピラミッドの頂点は尖っていなければならない。
強者の数は自然界により調整されている。
ライオンは一気に200や300の子供を産まない。
現在の地球の生態系ピラミッドは地盤が持ち堪えれないほど
頭が大きくなっている。

人間の科学や文明の進化は
防衛本能として付いたスキルだと思う。
例えば医学は人を守る。
例えば武器は外敵を殺める。
例えば理性や道徳は争いを無くそうとする。
例えば言葉は人を助ける。

全ては種族の繁栄のため、本能として形成されている。

バランス。

酷く危険で現調和は皮一枚で、繋がっている。
いつ、何が起きても仕方がない。
起きない事が奇跡であり、かけがえのない事。

あるべき形は、あるべき物に納まっていく。
どこにも恐竜はいない。

だから、我々は歌う。
形ある限り、いつまでも。
その時を感じて、その時を生きたい。

これが音を出す自分のバランス。
表現する事でしか、自分を保てない。
狂喜の音だ。

人のバランスも自然界と同じ。
怒りだけが大きく頭でっかちであると
誰もが直感で避けようとする。

人の目や耳は動物的本能で
実は、しっかとそのバランス感覚を見ているん
だと思う。特に日本人は他人を意識する種族。
人あっての自分の文化だから。
直観的な部分もあるので、感覚で
この均衡を保っている人もいるんだよなぁ。
そんな人の周りにはいつも人が集まっているでしょ。

とりとめもない話だったけど、
この
バランス。
音も同じ。
聞いている人に、何かの音を
飛びぬけて聞いてもらってもずっと緊張しっぱなし。
しんどいだけですよね。
全体的な調和が、Good!Vibes,Good Riddim!
を生み出すわけです。日々精進だ。

長くなりましたが、
日々のバランスを大切に。

05/04: JAM

Category: General
日本で使用される「JAM」と言う言葉と、本来の意味は若干
の誤差はある。正式には「jam session」。

いつしか、このJAMが非常に好きになり
それを好きになると同時位に、音楽概念が変わった。

自分が理解するJAMとは、
「リアルな音のぶつかり合い」

それは、予定調和で決められたものでは無く
ある時、その瞬間に感じたものを出す音。

だから、どんな曲のアレンジもある一定の
ベースは崩さないが、基本的に決めていない。
毎回、思った事、感じた事をそのまま、な~んも
考えずに出している。
ええ加減が良い加減なのです。

自分は太鼓担当なんですが、ドラムやジャンベを
スピリチュアルに基礎訓練と気の遠くなるようなルーチン練習を、
ハイ!そりゃやりましたよ。血が出るくらいね・・・・
ただ、全く面白くない!!
で、ある一定のものを掴んだ後、オリジナルとしていく
わけでしょ。そこに楽しさは散りばめられているわけです。

映像やアートや音楽はその人の世界観を
人にかなり鮮明に伝えれるエンタメだと思うんです。
顔を見れば人が分かる。これ当たってると思います。
音楽を聞けばその人が分かる。これも一緒だと思います。

遊びのある音楽が好きです。
だからアイリッシュは楽しいと思うわけなんです。
自由さがあるから。
トラッドはそう言う訳でも無いみたいだけど・・・。
要は、その人個人の「遊び」が多ければ多いほど
自由な発想や、グッとくる勢いや波は出てくるんじゃないかな?
個人の生き方が音の活き方に繋がっているんだと思います。
まあ、何でもそうだと思うけど
一つの事を突き詰めていくと、年月を積むことによって
感じ方や表現がより変化していくんだけど。
稲穂も秋になれば頭を垂れるわけだ。


要約すると、
JAMは遊びの中に発生し、その上での決まりは
予定調和では無く感情を受け取り決まっていく。
決まった曲であれば歌ものではなければ、
自由に遊べばいいんだ!それがJAM。
同士よ、踊り狂いなさい。


容器の中に詰め込まれて密封されているのはジャム。
容器からダダ漏れして机の上がギトギトになっているのに
その模様が夕焼けの絵画のようになって見るのがJAM。

分かるかな・・・・
どちらも成立しているけど、全く違うもの。

もうすぐ母の日。

カーネーションの代わりに手創りのJAMをどうぞ。
Category: General
フィリピンの観光で有名なセブ島の近くにあるサンゴ環礁に
囲まれた島「カオハガン島」。

恐らくは聞いた事のない島だと思う。
自分がその島を知ったのは、4年前のある本屋でだった。

「何も無くて豊かな島」
と言うタイトルに惹かれぺらぺらとめくると
うん。いい感じ。

島主は日本人、崎山 克彦。
元、講談社インターナショナル編集役員。

とある取材に出かけた際にその島の事を知り、
売りに出されていたと言う。
その島を買い取り、現在その島で生きているようだ。
あまり知られていない事だが、島は結構売っている。
http://www.aqua-styles.com/

崎山氏が事実上購買したその島には
法的には不法滞在となる住所不定の先住民が住んでいた。
勿論法的には住居確定しないので、追い出すことは
出来たはず。が、崎山氏はここの住民と生きている。

たった500人の島。
五万平米。東京ドーム1個分の敷地。
確か島の全てが崎山氏の所有では無かった気がする。

島民はキルト(民族衣装/現在ではその他の目的にも使われる)
を作ったり、ヤシの実や魚を取ったりして、生計を立てている。
海に囲まれた小さな島。
きっと、ハイテクの文明は皆無だと思う。
通信や医療面でも充実はしていないだろうし、
天災が襲えば一発で壊滅するかも知れない。

崎山氏はこの島をリゾートでは無く
異文化の交流を持つ場
だと言っている。確かにそうだとは思う。
絶対数の現地民と少数の日本人が暮らしているのだから
絶対的に文化は吸収されるはず。
土地には土地の暮らし方があるのはおそらく良く知っていると
思うし、それは自身が想像できる範囲を超えている。
それを自由と呼べるのかどうかは本人にしか分からない。

只、文字や写真を見ているとその環境は少なくとも伝わってくる。
自由と制御のバランスは生活する上で絶妙なバランスが必要だし
個人によってその感覚は大きく変わると思う。良いリズムを感じた。
人格者だからこその、関係性がある。
そんな空気を感じ取れる。

思う事がある。
人には必ず行きつける場所がある。
金の問題では無い。
窮屈な毎日だと感じていても、自身の場所を求め
努力している者にはその扉は開かれると思う。
諦めなかった者勝ちだ。
投げ出す時もある。くじけそうな時もある。
でも、諦めなければ試合は続く。
安西先生も言っている。

毎日は沢山の感情を揺さぶる出来事が転がっている。
先進国に生まれ、育っている。
電車に乗ることは考えられない一大行事と感じる国も
あるだろう。
目に映る事以外の事をココロで見てみる。
感じて生きると、不思議な事が沢山ある。
感じて生きる事を、忘れてはいけない。
人生は実験なんだ。

リアル・ザ・フィール・ワールド!

今日はこのへんで・・・
Category: General
写真家たちの日本紀行
と言う番組がある。BSJでやっている番組。
以前、その放送の中で、竹内敏信と言う写真家を追っていた。
放送時の題材は、富士を撮る写真で、その中で言っていた言葉が
凄く印象的だ。
「神の宿る景色がある」
その写真がこれだ。
http://www.bs-j.co.jp/shashinka/main3.html

その時、その写真家が感じたものが全ての人に伝わる
事はきっと無いかもしれない。
でも画面に映ったその写真は、言葉の通り神の宿る風景だった。
涙が出た。
不思議だけど、リアルに景色を眺めるより
フィルターを通す事により、それ以上に心に深く刻まれる
時がある。まさにこの写真だった。
「日本に残したい一枚」
毎回そんな写真が出てくる、素晴らしい番組。

あるままの自然が映し出す芸術がある。
また
あるままの自然が奇跡を重ね、偶然その時を演出する時がある。

俺たちは、心に残る景色を死ぬまでに後、どれくらい
見ることができるんだろう。
あるものは望めば求めることができる。
だが、その偶然の瞬間はその人の流れの中で発生する。
奇跡の瞬間。
そして、発見した景色は心の中で
少しずつ景色を変えて、その人の中で生き続けていく。

歳を積めばよりリアルに感じることとなる。
その時は是非シャッターを押してほしい。

ただし、
面白いもので、人の脳は何かで残す事でその記憶を
本能で忘れても良いものだと認識する。
だから、目に焼き付ける景色は色あせることなく
一生その姿を継続させていく。
かめらにはカメラの
こころにはココロの
残し方がある。



良い景色を。
今日はこの辺で・・・
Category: General
決して淡路島にある探偵ナイトスクープで有名になった
ユートピアの話ではありません!


少し難しい事を書きます。
音楽に全く関係ないので、ご用心!

脳科学者、茂木健一郎。
非常に科学者とは思えない、難しい話を分かりやすく解説する
そのセンス、雑学の多さ、読心術とユーモア。
全く興味のない分野なのに引き寄せられる。

脳化学とは、自身が感じ取った所感で書くと、
この世の目で確認できる表面上の事実は全て
数字(科学)で証明し認識する事が出来る。
上記に人が思い描く感情は必要なく、分離した
考え方として(極論としては、必要のない考え方)として
扱われ、物事が起こった時に感じる・事実と感覚は
2WAYでの思考回路が同時に進行し並行して交わる事が無い。

と言うのが脳・科学の真髄。
但し、茂木健一郎(遡れば小林秀雄なども)はここで提唱する、
人が感じる数字(科学)で証明できないもの
クオリア(質感)についての概念が納得できる。
心の科学。

心脳と言う言葉。
脳は心を持っている・持つ、と言う考え方は
我々が生活する上でごく自然に体験していること。
例えば、 「雪」
科学的に説明すると、
水分が蒸発し雲になり、また地上に雨となり落とす過程の
気温が氷点下のため雪となり地上で目視される。
これは全て数字で証明する事が出来る。
だけど、雪を見て、綺麗だ とか 情緒 を感じるこの
感覚は決して科学では証明する事が出来ない。人それぞれ違う感覚
であり、完全なる主観性だからだ。
これは、クオリア と言う表現となる。心脳たる所以。

もっと身近に言うと世界共通のクオリアは宗教観であると思う。
例えば、神道や仏教などは神と言う存在が自然精霊や仏の魂に存在し
これだけの信者がいるのに、根底の精神世界は同一性があるが、個人
それぞれのとらえ方には大きく違いがあると思う。木や山の神は人が目に映る
対象物に対して、偶像世界を作り出す。その心の世界は必ず違うはず。
絶対の神を崇拝している一神教(唯一絶対神)であるキリスト教や
イスラム教などでさえ人々の心のより方は違うのではないでしょうか?
先進国であれ途上国であれこの科学が発達した世の中なのに、
生活基盤がそこにある。文化を組み成し、生活を支える心のよりどころとなっている。
科学は大事だ。この豊かな生活環境があるのもこの文章が書けているのも、人が沢山
救われているのも科学の発展があってこそ。
だが、それでだけでは生きていけない事も確か。
多くの国をみると、宗教観の違いを理解する事により、よりその国の文化が
浮絵のように浮き出てくる。それは宗教派閥を持たない多くの日本人の
フラットな感覚で見るとより鮮明となる。

一体何が言いたいのかと言うと、
この世の中のものは全て偶像でしかないと思う。
例えそれが科学でも。例えば我々が理解をする数字は
人間のみが理解をする為の一つの媒介でしかなく、実態は不明慮だ。
形があるわけでは無い。目で見ているもの全ては、眼球を通して見る事は
出来る。只それは人間の目がそう移しているだけの話で、例えば「ボール」
を異星人が見た時は象に映るかも知れない。光の屈折の受け方の問題。
それゆえに、現在が偶想の物に対しては形が無い分よりリアルに感じる事が
出来る。それは、人の脳の問題でありハートの問題。
一つの曲を、楽しいと感じる人がいれば悲しいと感じる人もいる。
イコール無限なのだ。創造とは無限の可能性を秘めその無限の可能性を
ゼロから創り上げる無限の万物だと、信じている。
宇宙と言うまだまだ未開な世界は、我々の脳と繋がっていると思う。
それは、科学でも証明できない未知なるユートピアとして。


少し意味不明の事言ったかな・・・・

null null

今日はこのへんで・・・
Category: General
あくまで個人的な意見を書きたい。

暗い話題ばかりのメディア。
そろそろメディア自体が「媒体」の価値を問う時期
だと思う。

昔は、もっと悲惨な事件も沢山あった。
ただ情報網が整っていなかったため、その情報は
ローカルに留められ、報道特性上知った時点では
旬のものではなくなっていたのではないか?
また、節度ある大人達が知らなくてもいい情報は
消していたのではないか?

自身の国(環境)を自分たちで作り上げていく。
暗い話題を暗い顔をして、誰かを批判対象に置き
架空の情報や人の発言のミスを垂れ流している。
ある情報を何のフィルターも掛けず、感想文のように
司会者は所感を述べ、一方通行の台本。

景気は全体としては確かに落ちている
だけど、
通信(インターネットやコミュニケーションインフラ)や
ファーストフードやコンビニエンスストアや輸入をメイン
とする商社や企業などの業績は極めて良い。

時代は変化する。いつ何時も。
こう言う「儲かっている」企業を大々的にドキュメントをはり
明るい話題を流すことを積極的に行えないものか?
若者には、ヒーローが必要であり、
夢を抱ける時代と、環境が必要だ。

その環境を作るのは大人の仕事であり、
世間体を気にした道徳に覆われた者たちでは
無いはず。
ヒーローの言葉には力がありヒントがある。
それは何かに卓越したプロフェッショナルな
方々の言葉なら、自信の環境に形をかえ取りこむ事も出来る。
音楽でも、何でも。
分かりやすく言えば、イチローがそうだ。
軒並み昼タイにも関わらず40%を超えた視聴率をたたいたのは
皆がヒーローに飢え、喜びに沸きたかったからではないか?
その、彼の優勝時のインタビューは
難しい言葉を一切使わない、子供にも分かる表現だった。
故意的かどうかは分からないが、それは強いメッセージのようだった。

腐敗したメディアではあるけど、
勿論いい報道番組も沢山ある。いつの時代にも志を持ち
常に飢え、真実を追い求める者たちはいる。
メッセージを発し、救いを発信する者はいる。
そんな人たちの目を知っている。

救いは、自身との比較環境から自身が優位に立っている
と言う安心の認識からは絶対に埋めれない。
目標を持ち、夢を語り、またその夢につまずいたとしても、
笑い合う時が来る。言葉の力を知り、文字の力を知り、
活きた人の生き方を知る。
親から自然に教えられた人も多いんじゃないかな?
個人の生活環境にも大きく左右するけど、先人の残した
道しるべは自身が欲すれば選ぶことができる。

風は自分たちで起こすもの。
ポジティブな発言はその風を呼ぶ。
逆もしかり。
精神性は意識であり、その人個人にしか
作れない。だが、そのヒントは自分で選べば沢山ある。
音楽も全くおんなじ。
ハートの向く方向が大事。

心ある創作をしなくちゃ。
全ては繋がっている。

今日はこのへんで!
良い環境創りを・・・。
Category: General
今日はインドネシア バリ島のお話。

東南アジアきってのアーティスピリットを持つ島 バリ島。
精神性とキッチュな感覚。エスプリがリンクするその瞬間。
日本社会から引きちぎられる。
信仰はイスラム教が大多数を占め、コーランが響きわたる。
伝統的な音楽をガムランが奏で、多彩な民芸品やアートは
生きる糧とし文化に根ざしている。

南国特有の能天気で朗らかな人種性。
ホストまがいや詐欺まがいがそこいらじゅうで起こっている。
ただ「裕福なものが貧しきものに分け与える」循環性
は宗教的な教えもあるようで、驚くほど悪意が無く、
あっけらかん
としている。こちらは、出会いがしらの接触事故にあったようなもんだ。
防ぎようもないし、防ごうとも思わない。

バリは昔の日本の臭いがする。
子供のころに田んぼや池で遊んだ夕暮れの
土臭さと、夏の汗にまみれた人臭い感じ。
ローテクで必要以上の負荷をかけ人たちは動いている。
高度成長の途中段階と言うポジティブな感じだが、
決してそこに生臭さは感じない。
実際の内部的な事は分からないけど
感じた質感はそんな陽な風。

島国は族時世の強い文化を発揮する。
日本の侍文化もまさにそれだ。
世界が驚愕するのも分かる。
ここバリでは、ガムランの協和音が街の至る所でなり
肌をなでてくれる。
また、「ケチャ」と言う独創的な演舞を見る事が出来る。
見ればわかるが、すさまじいドラマがある。信じられない。
民芸品が非常に多く、キッズのビーズ職人が沢山いる。
お店でキャッキャ走り回っているその当人の作ったお土産が店に
並んでいる。たくましい島だ。

その島に
アグン山と言う標高3000mを超える日本の富士山に似た山がある。
アグンとは、インドネシア語で 「偉大なる」と言う意味。
島の人々からは聖なる山として崇拝される核火山。
登頂した者は自身の邪気がはらわれると言う。
富士山は蛇のようなくねくねの道を、右に左に旋回しながら
登っていくのに対し、このアグン山は一直線に登っていく。
途中、道沿いには神が祭られ、道は溶岩が固まった石灰となり
決して豊かな道を何ちゃって登山で楽しむ。と言う雰囲気はなくいばらの道を
ただただ登り頂上を目指すと言う一点目的オンリー。
はっきり言って自分も登っていないけど! 次は必ず登るぞ!
むっさ、しんどいようですが・・・まずは富士山からだな・・・

最後にバリのかなり内緒で最高の楽しみ方をご紹介。
バリ島のお隣にロンボク島と言う島がある。(ロンボク島までも時間がかかりますが)
そのロンボク島の港からエアコンの効かないベコベコの
商業用ハイエース?に乗らされて40分程度に行くとまた
港に出る。そこから漁船のような床が海水まみれの船に乗って
辿り着く島「ギリアイル」1周歩いて1時間程度の小さな島。
島の交通手段はロバに木滑車。
シャワーは海水。トイレは勿論左手(これはどこでもだが)
夜はゲッコウ(ゲッコウと鳴くイモリのでかい生き物/いたるところの壁にはっている)
が鳴き、風と海の音が満天の星空の下心地よく聞かせてくれる、激ロマンチック。
ハンモックで揺られながら、最高の読書ができる。
プロポーズはここを選ぶべし!間違いなく大成功です。
が、その道中は半端なく土着的なので、その地に辿り着くまでに
分かれる確率大!成功した際は色んな人が祝福してくれるでしょう。
海に潜れば、ウミガメが人懐っこく寄り添って泳いでくれます。
但し!海流が早いので要注意!俺は死にかけました。
くれぐれも内緒でね。

では今日はこのへんで・・・